人の醜悪さを見た日本学術会議任命見送りの件
ここ数日多く報道されている日本学術会議の会員任命見送りの件。見ていると、人の醜悪さをまざまざと見せつけられた気になり、我が國はここまで劣化したかと眩暈がする。任命見送りの是非について分析する気はないが、政府、日本学術会議と野党、報道機関の三極が主な登場人物とすれば、三者三様で酷い。
まず日本学術会議と野党。この件が明るみになったとき、まず飛び出した言葉は「学問の自由の侵害」である。笑止千万。日本学術会議の会員に任命されないこと(あるいはその人事に関与されること)がどうやったら学問の自由の侵害になるのか。とりあえず印象が強く色々なところで使われやすい言葉を選んで反発し、それにまんまと野党やマスコミが乗っかっておかしな批判を展開している。学問の自由というのは日本國憲法の第23条で保障される基本的な人権であり、日本学術会議の人事にそれを結び付けるのは流石に無理がある。それに政府から独立した組織として自由に政府にものを言うという点をやたら強調するが、國費で運営されていながら政府から独立と言われてもほとんどの國民は聞く耳を持たないだろう。常識外れも程々にしていただきたい。野党も既得権益を打破するどころかそれを擁護するとは何事か。はっきり言ってダサすぎる。
次に政府。今回の任命については法律違反にあたらないとか、学問の自由とは全く関係ないとか、野党やマスコミの追及に対しての回答なので仕方のない面もあるが、結局何も説明していない。今回任命が見送られた六名の個別の人事について述べるのは控えた方が良い(その六名の名誉のためにも)だろうが、少なくともこれまでの慣例や過去の政府答弁から運用を変更していることは明らかで、より広い意味での任命基準を示すことは今後のためにも必要なことだ。そもそも日本学術会議の側から会員候補の推薦理由が出されないことも問題だが、これが首相の所轄で税金で運営されている以上、どのような研究等を委託する組織でそれに求められる資質・経験・見識等はどのようなものなのかというのは國民に広く周知し、透明性を持って会員を任命せねばならない。恐らく菅総理としては日本学術会議の体質や運営そのものに問題があるのでひとまず改革の初手としてこのように対応したのだろうが、王道でないし流石に雑過ぎる。
最後に報道機関。全ての報道を追っているわけではないが、「日本学術会議や野党はこのように批判している。それに対して政府は不十分な回答だ。おかしい」といった趣旨の報道があまりに目立つ。しかし批判する側もそれに回答する側も焦点のずれたやり取りしかしていないのだから、こういうときこそ報道機関が真の問題を炙り出し広く國民に提示し問題提起・世論喚起すべきではないだろうか。それが彼らの仕事だと思っていたが。産経も「学術会議の会員手当約4500万円 加藤官房長官が人件費示す」などと会員一人当たりの人件費が4500万円かのような見出しで誤誘導しているが、日本学術会議に使われる年間10億円など我が國の國家予算からすれば誤差の範囲で(私のような一般社会人からすればとんでもない額だが)、研究(特に自然科学)を本気でするとなれば会員210名で10億円は寧ろ足りないくらいだろうと思う。問題はお金ではなく、この組織の在り方そのものであったり、本来発揮すべきではない影響力を発揮する場になってしまったりしていることだ。この組織の目的に鑑みれば、毎年の惰性による税金投入は止めて真に独立した機関となり、政府から研究を個別に委託される形で資金を獲得するのが筋だろう。報道はそこに議論を集中して、真に國民にとって有益な問題提起を行っていただきたい。
仮にこんなことで國会が空転することにでもなったら甚大な國益損失だ。たった年間10億円の組織のために、一日3億円かかるとも言われる國会が空転するなどあってはならない。この件で騒がしくなる國会で野党にパフォーマンスの機会を与えてあげている間に、それと引き換えにしれっと真に有益な法案を10本程通すというのならまだ納得できる。菅総理がそこまで計算していることを願いたい。