皇位継承_國體を保守する

國體の根本は皇統である。私は昨今の皇位継承の議論に大きな危機感を抱く者である。所謂保守を名乗る方々にまで工作が浸透しており、大変危惧していると同時にがっかりしている。
皇位継承の議論は、安定的に継承していくために女系天皇を認めるべきか否かという議論が中心になっているように見受けられるが、まず出発点がおかしいということがあまり指摘されないのが遺憾である。そもそも、男系天皇、女系天皇という言葉に欺瞞がある。天皇に男系や女系といった概念は存在せず、それを無理矢理に作り出し、さも争点があるかのように繕っていることがこの上なく卑怯であると考える。
その上で、この議論に対する自分なりの考えを述べるにあたり敢えて男系、女系という言葉を使うと、何故皇位継承は男系に限る必要があるのかという問いに対しては、それこそが天皇の正統性であるから、の一言が全てである。皇位は古来より一貫して例外なく男系により継承されてきており、それこそが天皇の正統性である。そうでない天皇が誕生すれば、その天皇の正統性は何に拠ることになるのか。誰も説明できなくなる。天皇の正統性に疑義が生じれば、それは國家転覆を狙う勢力の思う壺であり、許容されるものではない。
女系天皇が誕生した場合でも、新たな正統性を付与すれば良いではないか、という反論は成立しない。まずどのような根拠をそこに置くべきなのか、人によって様々な意見が噴出し、まとまることはまずないであろう。家格?それであれば旧宮家の皇籍復帰により男系で継承する方が道理に適っている。資産?まず納得する國民はいないだろう。そもそも当人以外が結婚相手を決めることが現代では受け入れ難いはずだ。女系天皇が容認されるということは、換言すると誰でも(外國人であっても)天皇になれるということである。無用な争いも生まれるであろう。そこに日本國民の総意に基づくような正統性を付与することはおよそ不可能であろうと思われる。
男女平等に反するという意見もあるが、これは少し筋違いの意見である。そもそも男女平等というのは男性と女性とで機会は均等であるべきだとか、同等の権利を有するべきだといった権利の議論である。私もそれに異論を挟む気は全くない。だがここで重要な点は、皇位継承は権利ではないということである。これは生まれながらにして決まっていることである。更に言うと、男女平等の議論というのは主に権利を拡張する方向での議論である。皇位継承が果たして権利を拡張することになるかというと、寧ろかなり制限するだろう。ただひたすらに、私心を捨て、民のためにお祈りになるのが天皇陛下である。そのような存在になる権利を他に人にも拡げようという議論は正直言ってよく分からない。
ここまで見てきたように、男系での継承を維持することで、皇位の正統性に疑問符が付くことはなく、國民や國家の分裂を防ぐことができる。結局これに尽きる。男系という原則を外した瞬間、分裂への扉が開いてしまう。その可能性が生まれてしまう。もしかしたら運良く分裂せずに済むかもしれない。しかし分裂の危険性を抱えたまま皇位継承していくのと、その憂いを絶った状態で安定的に皇位継承していくのとでは、國家の安定は全く異なるものになるだろう。
女系天皇容認の議論は、順序が逆であるということだ。まず男系による皇位継承を如何に安定的に継続していくかということを考え、それが不可能になった時点で初めて考慮に入れられることである。出発点は、旧宮家の皇籍復帰等の男系継承策であるべきだ。女系天皇容認を主張する方々は、そうせねばならない理由を説明せねばならない。理由を説明する責任は、保守する側ではなく変革を求める側にあるというのは、福田恆存さんが書いた通りである。
その意味でも私は、Y染色体を継承することの重要性に立脚した男系論には立たない。これは寧ろ國家を転覆したい勢力に無駄に付け入る隙を与えかねないので有害ですらあると考える。技術が進歩し遡って確認したときに異なる結果が出る可能性もないではない。神武天皇の存在を信じているのか、あの時代に120歳やら130歳やらまで生きるわけがないだろう、とか、欠史八代をどう考えるんだ、とか、答のない問答に引きずり込まれ、静謐な環境での議論はとても望めない。それに、親から子へ受け継がれるのは何もY染色体だけではない。Y染色体は父から息子へと継承されるが、ミトコンドリアは母から子へと継承される。偶々初代神武天皇が男性だったから男系で継承してきたが、もし初代が女性であれば、恐らく女系で継承することになっただろう。その際にはミトコンドリアを継承することの重要性が主張されることになる。つまりこれは、どちらでも良い話で、初代が偶々男性であったということに過ぎない。更に言うと、Y染色体は必ずしも完全無欠で継承されるわけではなく、子に受け継がれる際に組み換えや変異が起こる可能性も当然ある。そしてこれはミトコンドリアも同様である。男系による皇位継承に正統性がある以上、反・反男系論に陥っておかしな理屈を付けようとしてはいけない。反男系論と同じ土俵に乗る必要はそもそもない。それが彼らの狙いでもある。伝統を保守する側はどんと構えておけば良いのである。正統性は男系継承にある。
繰り返しになるが、議論の順序を間違ってはいけない。まず我が國の皇位の正統性は古来より例外なく男系によって継承されてきたことにある。それこそが天皇の正統性である。従ってそれを安定的に継続する方策を探るのが先決である。幸い現在は悠仁親王がいらっしゃり、その後のあらゆる可能性を考えても旧宮家の皇籍復帰という選択肢が存在する。あらゆる努力を尽くしてなお男系による皇位継承が不可能な状況に陥ったとき、そのとき初めて女系天皇を容認するか否かについて議論が始まる。この根本に立脚した建設的な議論が展開されることを願っている。