『日本語は天才である』柳瀬尚紀著

たまたま古本屋で見つけたこの本。柳瀬尚紀の名前は天才翻訳家として勿論知っていたが、実は彼の翻訳作品を読んだことはなく、興味はありながらもそのまま時が過ぎてしまっていた。そこで古本屋でこの本が目に入り、たしか100円とかだったので思わず買ってしまった。本の状態もとても良いのに、安過ぎないか。
本の中で、柳瀬さんはしきりに「日本語は天才だ。自分はその天才である日本語を使わせてもらって仕事をしているだけ」という趣旨のことを仰り終始謙遜する。しかし本書を読んだ私の正直な感想としては、「いや、たしかに日本語は天才だが、柳瀬さん、あなたもかなりの天才ですよ」である。
この本は、日本語という言語の豊かさを改めて実感させてくれる。終始興味深く読んだが、その中でも特に印象深かったものを少しだけ紹介したい。
まずは、柳瀬さんと日本語が天才であることが端的に分かる翻訳の例から。ある日の朝早く、太陽が昇ってきたら空にまだ月がいて、太陽が次のように声を掛けたところ月が怒ってしまったという話。
”You are a Full Moon.”
何故月は怒ったのか。それは、”You are a Full Moon.” と声を掛けられたのに “You are a fool, Moon.” と聞き間違えたから。しかしこれを、「やあ、満月さん」と「君は馬鹿だな、満月さん」を聞き間違えたと訳しても元の英文の面白さは全く伝わらない。そもそもこの日本語の聞き間違いは非現実的。英文の解釈としては正しいが、どうして月が怒ったのかが訳されておらず、これでは翻訳ではないと柳瀬さんは仰る。そこで柳瀬さんは苦心の末これをどのように翻訳したか。
「されば、かの満月か」
「去れ、バカの満月か」
これを天才と言わずして何と言うのか。この翻訳については本書を読む前から知っていたが、これを初めて知ったときは感動した。実はこれを知っていたから、柳瀬尚紀という翻訳家にずっと興味を持っていたし、本書も見かけた瞬間購入を決意した。
あともう一つだけ、本書から紹介したい。それは「いろは歌」について。我が國には多くのいろは歌があり、これが如何に凄いかは改めて説明する必要もないであろう。いろは歌とは、四十七文字(あるいは四十八文字)を一回だけ用いたもの。最も有名なのは、次のいろは歌だろう。
いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑいもせす
色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず
これはいろは歌が成立しているのみならず、七五調でリズムが良くて全体が読みやすく、意味もしっかり通り歌として素晴らしい。まさに天才的。
しかしこれ、英語ではできないそう。英語にもアルファベット二十六文字を全て使ったpangram(パングラム)というものがあり、次のものがよく知られているらしい。
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
だがよく見ると、2回以上登場するアルファベットがある。実はこれ、一回限りではなく重複がある。本書によると、一文字一回限りのパングラムは作られていないという※。如何に日本語が天才かという証左である。
さて、本書から、日本語の天才っぷりが分かる例を二つだけ紹介したが、このような話が二百頁以上にわたり書かれており、知的興奮を覚えるとともに、自分が如何に日本語の天才を活かしきれていないか、如何に最強の言語・日本語の衰退に加担してしまっているか、猛省させられる。是非多くの方にお読みいただき、日頃から美しい日本語を使うよう心掛ける人が増え、この奇跡の言語が美しいまま次代に継承されていくことを願うばかりだ。
よく日本人のノーベル文学賞受賞者が少ないことや、毎年期待されながらも村上春樹さんが受賞に至らないことが残念がられるが、私にはある意味当然のことのように思われる。言語にはそれぞれに良さがあり、日本語の美しさやニュアンスを外国語にそのまま翻訳するのは至難の業だ(逆もまた然り)。外国人に評価されるためには、作家本人の力量というよりも翻訳家の力量の方が問われるような状況にならざるを得ず、腕利きの翻訳家に巡り合えるかどうかという運の要素も相当に強くなってしまい、それは真の意味での文学の評価なのか疑問が残る。最早、日本人のノーベル文学賞受賞にこだわる意味が見出せない。
一方で、本書を読んで、もともと興味があった柳瀬さんの翻訳に更に興味が湧いた。翻訳不可能と言われたジェームス・ジョイスを翻訳してみせた柳瀬さん、年末年始の長期休暇でも利用してじっくり読んでみたいと思う。
※その後少し調べたところ、一文字一回限りのパングラム(完全パングラム)は現在既に作られているようだが、それでも略語やイニシャルが使われていたり、一般にあまり使われていないような単語が使われていたりと、美しい形で作るのはやはり至難の業のようだ。