天知る地知る我が知る
天知る地知る我が知る。これは中学・高校時代の恩師がしばしば仰っていたこと。その先生は私の人生に大きな影響を与え、当時私の心にとても響いて今でも大切にしている先生の言葉がいくつかあるが、これもその一つである。この先生との出会いは、今の私を形作る上で本当に多大な、割合で言うと五割くらいの影響を及ぼしている。私は他人の人生の形成に半分も貢献できるだろうか。これはなかなか難しいと思う。
さて、天知る地知る我が知る。先生はこれを、「誰も見ていないように思えても努力すること。お天道様は見ていらっしゃる、母なる大地も見ていらっしゃる、そして何よりも自分自身が一番それを知っている。逆もまた然りで、誰も見ていないと思ってサボっても自分がそれを一番よく知っている。誰かに評価されるためにやるのではない。人知れず努力せよ」といった趣旨で我々に説いてくれた。この「孤独な努力のススメ」は驚く程私の心に刺さり、誰からも評価されないことを淡々と忍耐強く継続するという私の一つの特性を形作ったと思う。
ふと気になってこの言葉について調べてみた。まず、成語林の初版(1992年)には以下の記述がある。
天知る、地知る、我知る、子知る
どんなに内密に事を行っても、天と地と自分とあなたの四者は知っている。悪事はいつかは世間の人に知られるということ。「天知る神知る我知る子知る」ともいう。→四知
成語林 初版(1992年) 旺文社
なるほど、先生の言葉には子知るという続きがあったというわけだ。しかも先生は比較的前向きな意味として誰も見ていなくても努力せよと説いてくれたが、成語林によるとこの言葉はどちらかというと後ろ向きで悪事はいつかバレるから悪いことはするなという趣旨のようだ。ちなみに、成語林にはこの諺の英語版も載っていて、英語では “The day has eyes, the night has ears” (昼には目があり、夜には耳がある)というらしい。
広辞苑で「四知」を引くと以下のようにある。
しち【四知】
[後漢書楊震伝]ふたりの間だけの秘密でも、天も知り、地も知り、我も知り、相手も知っているから、いつかは他に漏れるものであるということ。
広辞苑 第四版(1991年) 岩波書店
なるほど、成語林で「自分とあなた」と書いていたのは、秘密が私とあなたの二人の間のものだという前提があったのだとここで分かる。いずれにせよ広辞苑でもこの言葉は、隠し事はできない、つまり「人の口に戸は立てられぬ」という意味だということである。
うーむ、思っていたのと違うなぁ(笑)。想像するに、先生はこの言葉の本来の意味(秘密はいつか漏れる)を知っていて、だからこそ敢えて最後の「子知る」の部分を除いて我々に伝えてくれたのではないだろうか。「子知る」すなわち「あなたが知る」の部分がなければ、これは天と地と自分の話になり、秘密の共有という意味合いは薄れ、自分との闘いに焦点が当たる。そう考えるとしっくりくる。先生には十年以上お会いしていないが、事の真相をいつかご本人に聞いてみたい。
本来の意味はどうであれ、私は先生の教えの通り、人知れず努力せよという解釈でこの言葉をこれからも胸に留めて生きて往く。先生、ありがとうございます。
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