人と違う結果が欲しければ人と違うことをするしかない

 これはまた以前言及した恩師の話である。もう一つ印象に残っている恩師の言葉として「人と同じことをして人と違う結果が得られると考える人の知性を私は疑う」というものがあった(この通りではなかったかもしれないが、趣旨としてはこうであった)。すなわち、人と違う結果が欲しければ人と違うことをするしかない、人と同じことをしているだけでは人と同じ結果しか得られない、ということ。

 これは言われれば当たり前だと思うかもしれないが、実は普段あまり意識しないことではないだろうか。自分に言い聞かせないと、ついつい周囲の人に同調してしまいがちだ。しかしそれでは自分が欲しい結果は得られない。

 私は中学生のときにこの言葉を聞いてから、なるべく所謂「普通」というものを避けるように意識してきた。この陰なる努力は、少なからず自分のこれまでの人生に好影響を与えていると信じている。例えば一つ実例(スケールの小さい例ではあるが)を挙げるとすると、社会人となった今となればどうでも良いことではあるが、大学受験の成功もこの言葉のおかげである。私は所謂進学校と呼ばれる中高一貫校に通い、現役で東京大学に合格した。その年は私を含めて数名(一桁)が東京大学に合格したと記憶している(なので当時はそこまで華々しい成果を誇る進学校というわけでもなかった)。受験勉強に勤しんでいた頃、当然周囲の多くは予備校に通っていた。学校が終われば予備校で授業を受けるか、予備校の自習室で勉強するというのが彼らの基本であった。私は同じことはしなかった。

 その学校が毎年学年の半数を東京大学に送り込むような超有力進学校であれば、周囲と同じようにしていれば合格の可能性もある程度あるだろう。しかし私が通った学校は一学年に250名程度おり、その中で東京大学へ現役で合格するのは数名と狭き門(確率にして2%程度といったところか)である以上、周囲と同じようにしていれば周囲と同じような結果しか得られない。つまり東京大学合格の蓋然性は極めて低くなると考えた。なので私は予備校には通わなかった。予備校の自習室というものがどのような空間なのか、未だに知らない。ファミレスで勉強するというような周囲の友人がよくやっていたことも一切しなかった。高校三年の夏に部活を引退してからは、ひたすら家の自室で勉強した。

 勿論、自分が予備校に通うことで学力を向上させられるタイプであると信じている場合は、そのようにするのが良いだろう。私の場合はそうではなく、すぐに色々な方法で気分転換できる環境である自室で勉強する方が性に合っていたということ。もし予備校に通うことで学力向上が望めるなら、そうした方が良いに決まっている。重要な点は、自分が信じた道、自分に適した道と思えば、それが例え周囲とは違っていても、迷いを捨てて邁進すべきということ。私も当時周囲と違うことをしていることに不安がなかったと言えば嘘になるが、そこは己の信念として貫くべきだと思い気持ちを強く持ち続け、結果として合格した。やはり自分が信じた道は間違っていなかった、そう思えた。この成功体験はその後の私を支えているし、人と違う結果が欲しければ人と違うことをするというこの信念を植え付けてくれた恩師には感謝しかない。実際、社会人になって以降もこれを実践することで人と違う結果を残すことができている。

 リスクを取らない先に大きな成功はない。私は先生の言葉を胸に、これからも人と違うことをし続けようと思う。

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