「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の嘘

 健全な精神は健全な肉体に宿る、の誤用というか誤訳の話を先週書いて、同様の例として福澤諭吉氏の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」を思い出した。かの有名な『學問のすゝめ』の冒頭である。よく人間の平等について述べている言葉として使われるが、この言葉ほど我が國で誤用されている言葉もないのではないだろうか。

 実はこれには続きがある。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。」が本来の文である。つまり福澤氏はそのように断言しているわけではなく、「そのように言われている」と紹介している。そしてこの後読み進めると、「実際周囲を見渡しても生まれながらに平等なんていうことはなく、だからこそ學問が重要なのだ」といった趣旨でこの冒頭部分は続く。要するに、実際問題として人は生まれながらに平等ではないのだから學問をしましょうという真逆の主張なのだ。

 「人の下に人を造らず」のすぐ後に句点があるならまだ分かるが、何故同じ文中の「と云へり。」を除いてしまうのか。どうにもよく分からない。というか、『學問のすゝめ』の冒頭だけでも読めば分かることだが、確認しようと思わないのだろうか。「健全な精神は健全な肉体に宿る」は元はラテン語なので原典にあたるというのは一般的な日本人には難しいかもしれないが、『學問のすゝめ』は日本語である。

 ちなみに、私の身近な慶應義塾大学出身者もこれを知らなかった。泉下の福澤氏も泣いているであろう。

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