米國議会議事堂で起きたことを非難しなければまともな保守ではない

 ヘリテージ財団の所長Dennis Pragerさんがしっかり非難していたことには安心した。これが保守のあるべき姿だと思う。

 先週米國の議会議事堂で起きた事件を非難しなければ、まともな保守とは呼べない。あれを黙認するのなら、BLMが店を破壊し盗みを働き街を燃やし人を傷付け狼藉の限りを尽くしたのにそれを非難しなかった左翼破壊活動家たちと同じになってしまう。そんな二重基準は許されない。二重基準は最も恥ずべきことの一つである。

 確かに今回の米國大統領選挙には疑義が多々ある。偏ったマスメディアによる報道、ITプラットフォーマーによる恣意的な情報規制、選挙不正の疑い、等。しかしだからと言って、それらは議事堂を襲撃することを正当化しはしない。それでは左翼破壊活動家たちと同じ。又、襲撃者の中にアンティファが混じっていたという噂もあるが、この真偽も関係ない。もし襲撃者全員がアンティファなのであれば話は別だが、仮に一部がアンティファだったとして、彼らに扇動されて襲撃すればそれは許されることではない。

 襲撃者たちにとっては、もともと正義心からの行動だったのかもしれない。不正を許すことができなかったのかもしれない。しかしいくら意図が正義からのものでも、人はその行動で評価される。そして議事堂襲撃という行動は正当化されない。

 今回の件は他國で起きたことではあるが、我が國の自称保守にも同じことが言える。米國議会議事堂襲撃を正当化あるいは黙認するようでは本物の保守とは言えない。物事には決まりがあり、相手がその決まりを破ったからといってこちらも何でもありというわけにはいかない。戦争にだって決まりがあり、やってはいけないことがある。七十五年前、戦争犯罪のオンパレードだった米國に対して我が國は最後まで正々堂々と戦った。先人たちの顔に泥を塗るようなことはしてはいけない。我々は断固として議事堂襲撃を非難しなければならない。

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