どうして夜に爪を切ってはいけないのか

 「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」と言われたことがある人も多いのではないだろうか。

 私自身はそれを親に言われた記憶はなく、子供の頃はお風呂上りに爪を切るのが習慣だった。お風呂上りは爪が柔らかくなって切りやすく、特に足の爪は硬いので子供としてはこれが最善策だと思っていた。しかし大人になって、あるとき妻から「夜は爪を切ってはいけない。夜に爪を切ると親の死に目に会えない」ときつい語調で言われ、特にお風呂上りに強いこだわりがあるわけでもない私はそれ以来夜に爪を切るのを止めた。たまに昼間職場で爪を切っている人を見かけるので、恐らく彼らも同様の考えや教えからそうしているのだと思う。私は週末の昼間に家で切るようにしている。

 そもそもどうしてこのように言われるようになったのか、調べてみたが色々な説があるようだ。戦国時代の「夜詰め」からきているとか、たとえ爪であっても親から貰った身体の一部を暗くてよく見えない環境下で切るとは何事かとか、そもそも爪は神聖だとか(爪の垢を煎じて飲むとも言うし)、他にも諸説あり。迷信というのは大変興味深い。夜爪を切る人が皆親の死に目に会えないわけではなかろう。しかしそれを心の底から信じていなくても、なんとなく避けるようになるものだ。似たような話として六曜もある。新しいものを買ったら使い始めの日は必ず大安にするとか、仏滅に結婚式は挙げないとか、そういったことだ。これにしたって、別に新しいものを使い始めるのが先負だろうと赤口だろうと特に変わりはないと思うが、まあそういうものなのだ。我が家も新しいものは大安におろす。

 別に皆本気で信じているわけでもないであろうこうした昔からの迷信の類は何のためにあるのだろうか。そう考えたときに、それはきっと生活にリズムを作るための先人たちの知恵なのかな、と理解するようになった。兎角単調になりがちな毎日の中で、例えば爪をいつ切るのか決めていなければ、三日前に切ったばかりなのにまた切ってしまい時間を無駄にしたり、その時間で便所の掃除ができたかもしれないのにそれができなかったり、はたまた切るのを忘れて一月伸ばし放題にしてしまったり。それが私のように、夜は爪を切らないし職場に行く平日の昼間も切れないから爪を切るのは週末の昼間だ、と決めてしまえば、それが習慣になり忘れることもないし生活にメリハリが生まれる。それに、あることをいつやるのか決まっているというのは、心を安定させる重要な要素だ。週末の昼間に切ることが決まっていれば、ふと爪が気になったときでも心乱されることなく、「週末切るから大丈夫だ、今は別のこちらに集中して大丈夫だ」と焦ることなく気を落ち着かせられる。一つ一つのストレスは小さくても、積もり積もると意外と大きな負荷となって自分を痛めるものである。

 迷信の類の一つの役割は、こうした小さなストレスを一つずつ取り除いてくれることなのかな、と考えるようにして、なるべく取り入れながら生活にリズムを作り習慣化することを心掛けている。一見小さいことだが、こうしたことの積み重ねが心の平穏をもたらし、生活を安定させる。先人たちの生きる上での知恵である。

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